カテゴリー
雑記

ヘンゼルとグレーテル。お母さんは本当に悪者?

子ども向けの絵本は得てして教育として本当にこれをめでたしめでたしと言って良いのか、と思える場面が少なくありません。

ヘンゼルとグレーテール、皆さんご存知かと思います。
今日はヘンゼルとグレーテルのお父さんとお母さんについて考え、このストーリーは本当にめでたしめでたしで締めくくって良いものかを考えました。

今回、読んだのはこちら。

https://amzn.to/39Pp20d





ストーリー

・生活が厳しくなった貧しい一家が、どうしようも無くなり兄妹を捨てることを決める。
・森に置き去りにするも小石を目印に帰ってくる
・再びもっと遠くに置き去りにする
・魔女に捕まりヘンゼルが食べられそうになるもグレーテルが魔女をかまどに放り込む
・魔女の財産を持って家にたどり着くと、母親が死んでいて、父親と抱き合いめでたしめでたし。

最終的に、お母さんは悪者として、死んでしまったことになっています。
本当に、お母さんは悪者だったのでしょうか。

おおむね原作通り

Wikipediaによると、設定が継母になったり、魔女と同一人物であったりと変わることもあるようですが、おおむね原作からこの内容である様子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB

父母の考えが読めるシーン

最初に兄妹を捨てる会話

最初に兄妹を捨てることを決める時、
お母さんは、「子どもたちは木の実をとって生活できる。誰かに拾ってもらえるかもしれない」と、兄妹が生き延びる可能性を説きます。
そんな母親に対して、父親は、子どもたちと一緒にいたいと最初は拒否するものの、承諾します。
貧しさで、このまま家族もろとも野垂れ死ぬしか無いくらいに切羽詰まった中、苦渋の決断だったのではないでしょうか。

最後の食料をもたせる

二度、森の奥へ捨てることになります。
その時、ヘンゼルとグレーテルには残り少ない食料をもたせています。
二回目にいたっては、最後の食料を渡しています。
その後、父親と母親も、そのまま飢えて死んでしまうことを覚悟して、それでも食料を渡したのは、ヘンゼルとグレーテルを愛していたがゆえの行動なのではないか、とも考えさせられる行為です。

自分は悪くない父親

ヘンゼルとグレーテルが一度、小石を目印に帰ってきた時、父親は帰ってきてくれたか!と喜び抱きしめます。それに対して、母親は浮かない顔をします。

子どもたちの幸せの可能性を願って森へ捨てる決断をした中、戻ってこられたら、浮かない顔をしてしまいそうというのも、なんだか想像ができます。
それに対して、一度捨てる決断をしながらやっぱり一緒にいたいと抱きしめた父親。
母親が言ったから仕方なくそうしたんだ、本当は捨てたくなんてなかった、と、捨てておきながら周りのせいにしているのではないか、
また、例え子どもたちが森で飢え死んでしまったとしても、自分は直接手を下していないから悪くない、と言うような、そんな思考も読み取れます。

本当にめでたしめでたしなのか

物語は、魔女をやっつけ、魔女の宝を持ち帰った所、母親が死んでおり、父親と再開を喜んだ所で締めくくられています。
もう離しはしないよと、まるで母親にそそのかされて手放してしまったような、母親が悪かったかのように語られます。

上述ゆえに、父親よりも、母親が本当は子どもたちの事をちゃんと考えて決断し、
逆に父親は、自分の感情で動いているようにも感じ、その後、父親と暮らしていくことは大丈夫なのだろうか、と不安を覚えました。

童話として読むのなら

最終的にめでたしめでたしと感じさせるには、やはり、母親を悪そうなお母さん風に、継母のような意地悪で捨ててこさせようとする読み方をしていくと、良いのかなと思います。
上で改変の例に挙げましたが、改変にはそうした理由があったのかもしれませんね。

そんな、雑記でした。

コメントを残す